DMCラボ・セレクション 〜次を考える一冊〜
廣田 周作 / Shusaku Hirota ARCHIVE

所有からアクセスへ―共有経済の時代を考える

Book reviewer: 廣田 周作 / Shusaku Hirota

今回の書評は、アメリカの文明評論家であり、ドイツや欧州委員会で経済のアドバイザーを務めるジェレミー・リフキン氏が、未来の経済に関する論考をまとめた『限界費用ゼロ社会 <モノのインターネット>と共有経済の台頭』(NHK出版)を取り上げる。

『限界費用ゼロ社会 <モノのインターネット>と共有経済の台頭』(NHK出版)

 

資本主義が終わる!?

 

本書は、「資本主義は今、跡継ぎを生み出しつつある」という一文から始まるが、筆者は、資本主義というシステムは、その性質上どこかで終わることが宿命づけられており、限界費用がゼロに近づくにしたがって、経済は新しいパラダイムに変わっていく、ということを繰り返し主張している。

 

どういうことか?

 

筆者によれば、資本主義とは、基本的に市場での競争を通して「より良いものを、より安く」提供する企業が生き残る、という原理で動いているが、実はこの「より安くする」という競争が限界までいき、あらゆるものがタダで提供されるようになったら、まるで熱力学の法則のように企業の利益が上がらなくなり、システムが終わらざるを得なくなる、というのだ。

 

筆者は、自らの原稿の例えで説明する。

 


市場交換経済では、利益は利鞘の形で得られる。たとえば、私は作家として自らの知的仕事の成果を出版社に売り、前払い金と、将来は印税を受け取るのだが、原稿が本となって最終的な買い手に行きつくまでには、外部の原稿整理編集者や製版業者、印刷業者、卸売業者、運送・倉庫業者、小売業者の手を経る。この過程に携わる者がそれぞれ、自らの仕事に見合うだけの利幅をコストに上乗せする。

 

だが、書籍の製造と流通の限界費用がほぼゼロまで急落したらどうだろう? じつは、これはすでに起こりつつある。しだいに多くの作家が、出版社や編集者、印刷業者、卸売業者、運送・倉庫業者、小売業者を迂回して、作品をインターネットにアップし、非常に廉価で、あるいは無料で、入手可能にしている。一冊一冊の販売と流通のコストはゼロに近い。コストは、作品を生み出すのにかかった手間と、コンピューターを使用してインターネットに接続する料金に限られる。電子書籍は限界費用がほぼゼロでの製作・流通が可能なのだ。(P.13-14)

 

すべてがタダになる社会?

 

こうした例えは、既に消費者も感覚的に分かる話だとは思うが、本書はこうしたフリー化の波が、IoTの時代になり、コミュニケーション(情報産業)のみならず、エネルギーコスト、輸送コストすらも、ほぼ無料にしていくであろうと予測する。

 

例えば、エネルギーの世界でも、太陽光発電の技術的なイノベーションが起こり(コンピューターのムーアの法則と同じように、指数関数的に技術的なイノベーションが起こっている中で)、中央集権型の大規模発電ではなく、インターネットと同じように、ピアトゥーピアで、分散型・水平展開型の共有が可能になるという。そうすれば、エネルギーを各家庭で生産しシェアできるようになり、事実上、電力がタダに限りなく近くなるという。

 

さらに、輸送のコストについても、Uberに代表されるようなサービスの浸透や、自動運転技術の進歩によって、コストも限りなく安くなるだろうとする。今、バズワードになっている、ドイツの「インダストリー4.0」はこうした考え方がベースになっている。

 

(ちなみに筆者は、インダストリー4.0については否定的で、IoTは決して第四次産業革命の表れではなく、第三次産業革命のスマートインフラの構築によって、社会全般にデジタルテクノロジーを普遍的に応用することでしかない、としている)

 

では、資本主義に代わるパラダイムとは何か?

 

協働型コモンズが支える経済

 

本書では、資本主義の先に共有経済(シェアリング・エコノミー)が誕生し、それを協働型コモンズが支えるとしている。コモンズとは、封建時代のヨーロッパの農村で、農民たちが共有した牧草地や水車小屋などを語源にした言葉で、国でもなく、私企業でもなく、同じ価値観を共有した市民・ユーザーによる協同組合的な組織のことだ。

 

新しい時代は、新しいテクノロジーでつながった「コモンズ」が、分散・水平展開型で、モノや情報、エネルギーをシェアしていくという。

 

私たちは何をシェアできるか?

 

本書は、筆者の理想が書かれているあまり、現実にはまだ分からない点が多々あると思いながらも(例外はたくさんある)、大きな流れとしては、共有経済の存在感が増していくだろうということは理解できる。

 

資本主義・貨幣が担保する価値が、次第に相対化し、変わっていきつつある中で(オルタナティブな考え方も出てきている中で)、われわれ広告人も、「どう(お金を)もうけるか?」「どうモノを売るか?」「どう告知するか?」ということのみを発想するのではなく、「どう、コミュニティーに貢献できるか?」「私たちは何をシェアできるのか?」という視点を持って、価値観を再定義していくことが必要なのかもしれない。


Posted: 2016年1月20日 10:18 | コメント(0)

進む「産業の情報化」と「情報の産業化」

Book reviewer: 廣田 周作 / Shusaku Hirota

現在、あらゆる産業の領域で、デジタル化が進みつつあります。

コンサルタントの池田純一氏の言葉を借りれば、メディア、医療、金融、ファッション、農業、通信、政治、そしてわれわれが働く広告業界も含めて、あらゆる分野で、「産業の情報化」や「情報の産業化」が進んでいると言えます。

今、書店に行けば、人工知能が人々のスキルを代替し、多くの人の仕事を奪う未来を予測した、まるでSF小説のような書籍も多く発行されています。すでに、人工知能を使ったサービスもいたるところに出始めていますよね。

となると、当然それらの技術の根幹を支えるための、プログラムを書く能力が、世界中のあちこちで、ますます求められるようになっていくでしょう。

実際、アメリカ合衆国のオバマ大統領は、一貫して子どもたちのプログラミング教育の重要性を呼び掛けていますし、シンガポールのリー・シェンロン首相も自ら書いたプログラムをFacebookで公表し、注目を集めました。日本国内でも、2012年から中学校の「技術・家庭」教科の技術分野でプログラム作成が必修になっています。

 

プログラミングは、ただの情報処理のための技術なのか?

 

プログラミングの重要性は、今や、世界中の誰もが認めるものとなっていると思うのですが、ではプログラムを書くことは、今後、産業を発展させ、効率性を上げていくための、ただの手段、ただの技術にとどまるのでしょうか?

僕は、違うと思います。

プログラミングには、教育的な観点からも、大きな可能性があると思うのです。

プログラミングは、「プログラミング言語」と呼ばれるように、コミュニケーションの手段として、ヒトが情報と接する時の「考え方」や「行動」を規定する特徴を持っていると思います。

例えば日本語が、われわれ日本人に日本的な思想や行動規範という影響を与えているように、プログラミング言語も、プログラマーにとっての仕事観を築くためのベースになっていると思いますし、効率的に仕事を処理することこそが善である、という行動規範にも影響を与えているのだと思います。

ゲーム会社の経営者は、元プログラマー出身の人が多いと言われていますが、彼ら/彼女らが、経営者としても、類いまれな創造性と、合理性を併せ持つことができているのは、プログラムを書く習慣に根ざしているからだと思います。大げさに言えば、プログラミングとは思想なのかもしれません。

今回紹介する清水亮著『最速の仕事術はプログラマーが知っている』(クロスメディア・パブリッシング)は、まさにプログラミング言語を習得することの、考え方や行動に与える価値を説いた本です。清水氏は株式会社ユビキタスエンターテインメント代表取締役兼CEOで、大学在学中にMicrosoftの家庭用ゲーム機開発や技術動向の研究・教育に携わったり、独立行政法人情報処理推進機構(IPA)から天才プログラマー/スーパークリエータとして認定された方です。

本書のポイントは、本書は、いわゆる「プログラミングの入門本」ではなく、プログラマー的仕事術、プログラマーのメタファーを使った、仕事の考え方や進め方を指南した本である点です。

それを象徴するかのように、本書の第1章の冒頭に故スティーブ・ジョブズの言葉が引かれています。

 


アメリカ人は全員、コンピュータのプログラミングを学ぶべきだと思うね。なぜなら、コンピュータ言語を学ぶことによって考え方を学ぶことが出来るからだ。(P.14)


プログラマーの仕事術

 

本書では、プログラマーらしく、速くてムダのないシンプル仕事術の紹介として、辞書登録の使い方や、議事録の取り方など、ビジネスパーソンの日常作業にもすぐに使えるライフハック的TIPSの紹介から、致命的なミスを防ぐ賢いダンドリの方法、チームの成果を最大化する仕組み、さらにはビジネスの設計の仕方まで、プログラム言語として実際に使われている「マルチスレッディング」や「投機的実行」などの概念をメタファーとしながら、効率がよい仕事の進め方について解説しています。

個人的には、特に「投機的実行」のくだりは、未来を予測する際の構え、リスクをとる時の考え方として非常に面白い考え方だと感じました。

情報処理を行う過程で、最も効率のいい処理方法を実行するのが良きプログラムなのであれば、その考え方を実際のビジネス上での情報処理にも応用してしまおう、ということなのだと思います。

プログラマーとしての自負と責任

本書を通して、清水氏はプログラミング言語の根底にある合理的な考え方と、その考え方の、仕事での応用法を伝えつつ、プログラミングの魅力、プログラマーとして生きることの魅力と責任を一貫して説いています。

冒頭の「はじめに」でも書かれている 電通の役員室で話したという言葉が印象的です。

 


プログラミングができないというのは、頭の使い方を知らないのに等しい(P.6)

 

この言葉は、まさに、プログラマーとしての仕事への自負を端的に表した言葉であり、自らのコードに責任を持つ、というプロフェッショナリズムを同時に表した言葉だと思います。

具体的に手を動かすこと、バグへの責任を持つこと、最速を心がけること。一見、「機械的」で冷たく見えるプログラミングの世界にも、 並々ならぬ情熱が流れていることを知るだけでも、非常に面白い本だと思います。

明日から「実行」できるアイデアも満載です。プログラムなんて関係ないと思っているあなたも、プログラマーから学ぶことはたくさんありそうです。


Posted: 2015年8月26日 19:38 | コメント(0)

今回は、新しい時代の「ものづくり」のあり方を提唱し、エンジニアリングとデザインが交わる領域で、次々に魅力的なプロダクト/サービスを生み出しているtakram design engineeringによる『デザイン・イノベーションの振り子』という本を取り上げたいと思います。

■デザイン・エンジニア?


本書の中身を紹介する前に、まず、この本の著者であるtakramという会社を紹介します。この会社のユニークさを特徴づけていることの一つに、「デザイン・エンジニア」という聞き慣れない肩書を持った社員が働いていることが挙げられます。
デザイン・エンジニアとは、本書によれば、デザイナーとエンジニアという二つのスキルを持ち、それぞれの領域を越境しながら、脱領域的に課題にアプローチできる人材とあります。
例えば家電などのメーカーでは、技術を担当するエンジニアと、デザインを担当するデザイナーが別々の部署で働いているのが一般的です。何か新しい製品を開発する際、技術面からのアプローチをエンジニアが行い、外観などのデザインはデザイナーが担当し、お互いに専門知識を持ち寄り、擦り合わせをしながら(時としてぶつかり合いながら)進めていきます。
しかし、takramはその担当をあえて分けず、一人の担当者=デザイン・エンジニアが統合的に課題解決に当たるというアプローチを取っています。つまりtakramは、工学部出身のエンジニアにはアートやデザインのスキルを身に付けさせ、美術大学出身のデザイナーには、工学の知識を身に付けさせる、というような形で人材を育てている企業なのです。
ではなぜデザイン・エンジニアが必要なのでしょうか? それは本書のテーマ「デザイン・イノベーション」という言葉と密接に絡んでいるので、まずは本書の構成を追ってみます。

■近代のものづくりの限界

本書は、現代のものづくりの方法、つまり「問題を細かく分解して対応すれば課題にアプローチできるという発想に基づいた、近代的なものづくり方法」に限界が来ていることを浮き彫りにしていきます。専門家の分業(エンジニアは技術だけを担当、デザイナーはデザイナーだけを担当)では、もはや新しい時代のものづくりに対応できなくなったというわけです。
その困難を、本書では「複雑性=Complexity」「Composite=複合性・相互依存性」「Ineffability=記述困難性」といった言葉で丁寧に説明しています。要約すると、現代のプロダクトは、ハードウェア、エレクトロニクス、ソフトウェア、ネットワーク、サービスといった異なる領域の構成要素が複雑に絡み合って一つの「体験」を提供するようにできており、何かを作るために、ものごとを要素ごとに細かく分解し、分業体制で製作のアプローチをすることが難しくなったというわけです。
(例えば、スマートフォンでオンラインゲームアプリを作る際には、様々な領域の知見が必要になりますよね。)
現代のものづくりの現場では、デザイン的な視点で技術を見る必要があり、技術的な視点でデザインを考える必要がある。つまり、統合的な視点とスキルの重要性が増しているといえます。
本書の言葉を引用してみましょう。


「2010年以降から現在に至るのが第五世代。「ハードウェア+エレクトロニクス+ソフトウェア+ネットワーク+サービス」の時代だ。(中略)
この5つの要素を同時に考え、等価に扱うことの出来る能力が、現代のイノベーションの創造には必須となった。インターネットによって、技術に対するアクセシビリティがフラット化し、情報は容易に得られるようになった。一方で、ものを構成する要素の選択肢が増えたことで、先端のもの作りには、多数の専門性を有機的に組み合わせる必要が出てきた。また、製品はスペックではなく、エクスペリエンスという軸で評価されるようになった。これらの状況がわれわれに専門性の越境を要求し、要素を統合的に扱い、それを織り上げ、繋ぎ込むことを要求し始めている」(P.12)



■振り子の思考とは?

では、現代のものづくりを実践する上で、takramのデザイン・エンジニアたちはどのようにアプローチしているのでしょうか? ここで、タイトルにもなっている「振り子」の思考が登場します。
振り子の思考とは、


「ひとつの枠組みにとらわれず、2つ(かそれ以上)の極の間を高速に行き来しながら、答えを揺れ動く残像のなかに見いだすことだ。」(P.28)
とあります。


それは例えば、機械工学的な課題があるときに、ユーザー体験の設計を工夫することで、そもそもの問題を無効化できる、というような思考を指します。エンジニアがデザイナー的な視点を、またデザイナーがエンジニア的なスキルを持っていれば、解ける問題の幅が広がり、さらに深いインサイトを得ることができるかもしれません。分業体制ではなかなか見えてこなかった課題への新しいアプローチが、デザイン・エンジニアという領域横断的な視点、複眼的な視点を持った存在を通して初めて可能になるというのが本書の主張です。


「対象をいろいろな角度から眺めてみる。当事者としての視点、他者としての視点。軸を定め、対極からの景色を眺めると、次は軸そのものからの逸脱すら可能になる。」(P.29)


それがtakramの提唱する、新しいものづくりの思想=振り子の思考なのです。

■振り子の思考で貫かれた3つの方法論

この振り子の思考(越境的、複眼的、脱領域的)は、takramのものづくりの現場では、さまざまな方法論に貫かれているといいます。本書では「プロトタイピング」「ストーリーウィービング」「プロブレム・リフレーミング」の3つの方法論が紹介されています。詳細な事例は本書を読んでいただきたいのですが、ここではそれぞれの方法論を簡単にまとめてみます。

1.プロトタイピング:「作ること」と「考えること」の間で揺れる振り子。
これまでも、ものづくりの現場で「プロトタイプ」の重要性は認められてきましたが、従来のプロトタイピングは、企画から設計へ、設計から製造へというように、「抽象は具体に転写が可能である」という前提に立った上で、主にプリプロダクション・アセスメントなどの具体側の検証のために行われてきました。一方で、takramの実践する新しいプロトタイピングは、具体側の改善にとどまらず、具体と抽象の行き来を積極的に繰り返すことで、抽象側のレベルを引き上げるために行います。

2.ストーリーウィービング:具体と抽象との間で揺れる振り子。
ストーリーウィービングとは、プロジェクトの初期に設定したコンセプトをその後も柔軟に練り直し続け、より良いものに洗練させていく手法。つまり、従来のコンセプト設定の代替ではなく、それを補強し、拡張するもの。製品開発における「概念面」の成果物であるストーリーは、単体では存在し得ない。具象面である「ものづくり」のプロセスと同時進行させ、相互作用させることで見いだされます。つまり、プロジェクト進行中に製品開発のプロトタイプが進化するのと並行して、ストーリーそのものにも逐一改善を加えていく必要があります。「作ること(具体面)」と「語ること(抽象面)」、すなわち「ものづくりとものがたり」は、互いが互いを形づくり、さらには高め合っていきます。

3.プロブレム・リフレーミング:問いと答えの間で揺れる振り子。
初期に設定した問いに対してある答えを見いだすと、新たな、次の段階の問いが生じます。この繰り返しによって、初めて至るイノベーションがあります。さらには、答えの質の上限は、問いの質によって定義されてしまうので、そもそも与えられた問いが正しいかを検証する力が必要になります。

■正解が分からない、過去の経験が生きない時代に向けて

takramは、主にプロダクトデザインやサービスデザインの分野で新しい課題に対する革新的なソリューションのあり方、新しい哲学を提唱していますが、これは(分野は違えど)広告業界にもそのまま当てはまると思います。コミュニケーションの領域もデジタル化が進む中で、PR、プロモーション、CRM、サービス開発、デジタルマーケティング、それぞれの分野は密接に絡み合い、高度に統合されてきています。まさに、ものづくりの現場と同じことが起こっているのです。


「何を作ればいいのかわからない、正解がわからない、過去の経験が活きない、といった新しい分野を開拓するような使命を負ったプロジェクトは、誰がやっても難しい。失敗する確率も高い。そのために敬遠したくなるような気持ちも湧いてくる。しかし、新しい分野を開拓してこそ、社会全体に新陳代謝を起こすことができる。takramが取り組んでいきたいのは、まさにこの領域なのだ」(P.66-67)


ものづくりそのものに興味がない人でも、新しい分野の開拓に興味がある人にとって、とても参考になるわくわくする本だと思います。


Posted: 2014年11月13日 09:05 | コメント(0)

『弱いつながり 検索ワードを探す旅』

Book reviewer: 廣田 周作 / Shusaku Hirota

今回は、作家・思想家の東浩紀氏の新刊『弱いつながり 検索ワードを探す旅』(幻冬舎)を取り上げたいと思います。東さんは、私が学生時代に、とあるプロジェクトで大変にお世話になった方でして、何年もたった後、こうした形で東さんの本を紹介できるのを、弟子の一人として、個人的にもとてもうれしく思います。

さて、本書はこれまでの東さんの著作(哲学書、思想書、情報社会論、文芸批評、サブカルチャー論、小説)とは違うテイストを持った、独特の手触りのある、とても魅力的な本です。僕は、一読して大好きになり、何度も読み直しています。とても読みやすく、ごくごく平易な言葉遣いで、読者に話しかけるように文章が進んでいきます。初めて東さんの本を手に取った人でも、まさに旅に関するエッセーのように、ある意味ではさらさらと読めてしまうでしょう。といっても、そこには、あまたある素朴な自己啓発本のような単純なことが書かれているわけではありません。そこには、東さんの深い知見・経験と鋭い洞察に基づいた、新しい視座と、明快で説得力のあるメッセージとが用意されています。

東氏は、本の冒頭、アメリカの社会学者、マーク・グラノヴェッターの提唱した概念「弱い絆(ウィークタイ)」を紹介しながら、今、僕らを取り巻く情報環境(SNSで過剰につながった「強いつながり」の世界)の問題と、それを超えていくための旅(本書では「観光」という言葉が鍵となります)のあり方を、さまざまな旅先での「実体験」を元に考察されています。

私なりに、本書が提起している課題を整理してみたいと思います。
今、私たちは、誰もが知っているように膨大な情報に取り囲まれた生活をしています。何かを知りたいと思ったら、検索をすれば、すぐに答えが出てくる。何不自由のない世界が実現しているように思います。見たいものをすぐ見ることができる。知りたいことがすぐ分かる。それは、とても充足した自由な生活に思えます。しかし「その状態は、本当に自由なのか?」という、筆者の疑問から本書は始まります。

どういうことか?

確かにインターネット上にある情報は広大で豊かです。「何でもある」と言っても過言ではありません。だから私たちは思うがままに、検索をします。それは一見「自由」な行動に思えます。誰からも支配されている気はしない。しかし、よくよく考えてみれば、検索ワードとは自分の今いる環境の中からしか思いつけないということが分かります。検索という行為は、今自分がいる環境に大きく規定されています。つまり、「ネットは見たいものが見れる」ということは、裏返せば「ネットでは見たいものしか見ていない」ともいえるわけです。あなたの選ぶ検索ワードは、環境に規定されており、あなたの素直な欲望によって選ばれた検索キーワードと、その検索結果は、自己肯定を強化することはあれど、新たな気づきや、知見を手にすることができない、ということを著者は主張します。

いくつか、著者の言葉から、引用してみましょう。


ぼくらはいま、ネットで世界中の情報が検索できる、世界中と繋がっていると思っています。台湾についても、インドについても、検索すればなんでもわかると思っています。しかし実際には、身体がどういう環境にあるかで、検索する言葉は変わる。欲望の状態で検索する言葉は変わり、見えてくる世界が変わる。裏返して言えば、いくら情報が溢れていても、適切な欲望がないとどうしようもない。

 


ネットには情報が溢れていることになっているけど、ぜんぜんそんなことはないんです。むしろ重要な情報は見えない。なぜなら、ネットでは自分が見たいと思っているものしか見ることができないからです。そしてまた、みな自分が書きたいと思うものしかネットに書かないからです。


(太字は、作者=東氏によるもの)

では、情報検索の限界をどのように超えればよいのか?
東氏の出している答えは、実に明快です。物理的にあなたが今置かれている環境を変えること。すなわち「旅に出ること」だと言います。


本書では「若者よ旅に出よ!」と大声で呼びかけたいと思います。ただし、自分探しではなく、新たな検索ワードを探すための旅。ネットを離れリアルに戻る旅ではなく、より深くネットに潜るためにリアルを変える旅


(太字は、作者=東氏によるもの)

では、どのような旅が有効なのでしょうか?
本書では、自分探しに夢中な「旅人(バックパッカー)」ではなく、「観光」という旅のあり方の魅力が述べられていますが、具体的には、ぜひ本書を手に取って読んでみてください。

ところで、本書の指摘は、われわれ、日々企画を行っている広告会社の人間にとっても、非常に耳の痛いところがあります。企画の仕事を行う上でも、私たちはまず「検索」から始めることが多いからです。クライアントからオリエンを受けたら、まず、そのブランドに関することを検索し、過去の成功事例、失敗事例を検索し、その情報をストーリーとして整理し、アイデアを加えて企画にしていきます。しかし、往々にして、検索から始めてしまった企画は、自分たちが元々作りたいと思っていた欲望の範囲内での企画にしかなりません。デスクリサーチには限界があり、情報が情報を編み変えただけで、偶然性や驚き、新しい気づきが得られるものではありません。本当に良い企画、コミュニケーションとは、意外な他者との偶然の出会い、偶然であるのにそれが必然でしかなかったような、かけがえのないような出会い、気づきを提供することにあると思います。

最後に自分のことを書いて恐縮ですが、最近、企画をしていてもなかなかブレークスルーできなかったのですが、僕こそ旅に出る必要があるのかもしれないと思ったのでした。本当に良い本なのでオススメです。


Posted: 2014年8月14日 11:54 | コメント(0)

言葉の技術

Book reviewer: 廣田 周作 / Shusaku Hirota

今回は、電通のクリエーティブ・ディレクター/コピーライターの磯島拓矢氏の『言葉の技術』を取り上げます。本書は、タイトルの通り、人に伝わる言葉とはどういうもので、どうすれば書けるようになるのか、といった「言葉」を考えるプロセスがとても分かりやすく書かれています。(まだぺーぺーの僕が、会社の大先輩の本の書評をするだなんて、僭越なことをしてスイマセン。いちプランナーとして読んで感動したので、どうしても感想を書いておきたいと思ったのでした。偉そうにスイマセン。しかも、ちゃっかりスイマセンという文体をまねしてスイマセン)

本書は、基本的には、コピーライターやコピーライター志望の方向けに書かれてはいますが、普段なかなか上手く企画書が書けないと悩みを抱えている僕のようなプランナーやマーケターにとっても、というか、言葉に関わる人なら誰でも(=つまり、誰にとっても!)とても勉強になる本です。

ただ、この本は(本書でも指摘されている通り)ちまたによくある「文章術」のような内容にはなっていません。また、思いつきやひらめきを生むための安易な「アイデア術」のような内容も書かれてはいません。作者である磯島氏は、「コピーは、パッとした思いつきやひらめきから生まれるわけではなく、伝わる「言葉」は「考え」に限りなく近いことである」と述べています。つまり、伝わる言葉に近道はないということです。

この指摘が本書の一番の重要なポイントだと思いました。

僕は、これまで素晴らしいコピーとは、一部の特殊な才能やセンスを持った人が、まるで即興詩人のようにぱっとひらめいて、一瞬で書き切っているかのような先入観を持っていました。(だから、センスのない自分には言葉を書くのは無理だと思っていました)でも、実はそうではなくて、コピーライターは、人よりたくさん考えているからこそ、クライアントや生活者に、「なるほど!」と思ってもらえる表現になるというのです。つまり、僕が良い文章を書けないのは、センスの問題というよりも、考え抜いていないことこそが問題である、ということです。センスがないことを言い訳にできず、自分はただ考え抜いていないということが分かってしまうのは、とてもつらいわけですが、人よりも一歩深く考えることで伝わる表現にたどり着けるということには、救いもあります。

磯島氏の言葉を、少し本文から引用してみましょう。


僕らコピーライターにチャンスがあるとしたら、広告を見る人もクライアントさんも忙しいということです。なんだか情けないチャンスですけどね。広告を見る人もクライアントさんも、その商品についての言葉は、第一印象で止まっています。最初に思いついた言葉で止まっています。なぜなら(繰り返しますが)忙しいから。みんなに「なるほど」と言ってもらうコピーを書くためには、その第一印象や思いつきでは届かない所まで、考えればよいわけです。より深く考えればよいわけです。



そして、磯島氏は本書を「言葉を伝えるために言葉を強くする技術ではなく、人に伝えるだけの価値ある言葉を見つける技術」と称しています。言葉自体を磨き、輝かせていくのではなく、人が受け取る時に価値として見てくれるような表現を見つける=考えるということです。

本書では、電通の新入社員研修で出された課題と、新入社員が応えた実際の解答を具体的に取り上げながら、それがどれだけ考えられている言葉なのか、どういう価値を生んでいる言葉なのかが解説されていきます。(考え抜かれた言葉がいかに鮮やかか知りたい人はぜひ、本書を手にとってみてください。使われている言葉はシンプルで簡易ですが、とても伝わってきます。コピーライターという職種の方に改めて敬意の念を抱きました)

僕は普段、主にデジタル領域のソリューションの開発やプランニングの仕事をしているのですが、技術革新のスピードが速く、それについていくのが精いっぱいなため、ついつい枠組みや仕組みの設計から入りがちです。でも、そもそも、どこにどういう狙いがあって、生活者やクライアントにとってメリットは何なのか?なぜそれを喜んでくれるのか?その視点を考え抜くことが重要です。僕の今の仕事は、言葉を考えること自体が仕事の中心ではないですが、WHATなきHOWには、価値は宿りません。この仕組みには、どんな価値があるのか?一歩深く考えること。伝わる言葉は考えるに近くなる。伝えるという意味では、どの部署もどの職種も一緒です。一歩深く考えること、その重要性を改めて知ることができた一冊でした。


Posted: 2014年5月22日 11:13 | コメント(0)

最近、クライアントから「コンテンツマーケティングに興味があって、当社でもちょっと取り組んでみたいのですが、どういう風にやっていけばよいか相談させてもらえませんか?」と聞かれることが立て続けにありました。

 

コンテンツマーケティングという言葉は、調べてみるとネット上では既にバズワードになっているようで、(様々な誤解や、間違った解釈なども含めて)その新しい「手法」への興味がマーケターやウェブ担当者、あるいはブランドの担当やPRの担当者の間で高まってきているようです。

 

広告会社の中には、「コンテンツでマーケティングを行う?? それって、我々広告会社がこれまでずっとやってきたことなんじゃないの?」と即座に思う方もいらっしゃるかもしれません。

 

でも、(この本を読めば)答えはNO。広告とは違うということが分かります。

 

では、コンテンツマーケティングとは、一体、どのようなマーケティングの概念なのでしょうか? それは、僕らマーケターにとってどのようなメリットをもたらすのでしょうか?

 

本書の第一章から、この言葉の定義となる部分をすこし引用してみましょう。

 

(コンテンツマーケティングと)典型的なマーケティングや広告手法との違いを挙げるならば、コンテンツを使うことは販売でもなく、広告でもないことだ。

 

対象となる消費者グループに対してメッセージをスプレーで噴きつけるようなプッシュマーケティングでもない。むしろ、相手を引きつけるマーケティングである。消費者が必要だと探しているときに、信頼できて、わかりやすく、役にたち、思わず注目したくなり、魅力的で、面白い情報がそこにあるという状態にすること。つまりは、引きつける戦略のことだ。(下線は筆者)

 

本書には、コンテンツマーケティングを成功に導かせるためのガイドラインとして、かなり細かいテクニック論や具体的なソリューションやツールも紹介されているのですが、上記の引用の通り、コンテンツマーケティングの一番の鍵は、いかにお客さんを引きつけるか?ということにあるようです。

 

広告ではいかにお客さんに見てもらうか?(アテンションを稼ぐ)ことに力点があるとするならば、コンテンツマーケティングは、いかにお客さんが自発的に見に来てくれるか(インテンションを誘発する)ことに力点があります。要するに、マーケターがいかにお客さんにうるさい、とか、うっとうしいと思われないように、自然と役に立つ情報を提供できるか? つまり、コンテンツマーケティングを行うためには、マーケターがお客さんに向き合う際の姿勢、大げさに言えば、「思想」がとても大事になってくるのだと思います。

 

思想が抜けたまま、表面上のテクニックだけを取り入れると、ステルスマーケティングに加担してしまったり、ユーザにうるさいと思われてしまったりして、むしろブランドの信頼を損ねてしまうこともありえます。

 

ちなみに、こうしてコンテンツマーケティングの基本的な考え方を理解していくと、この本につけられた(ちょっと謎めいた)タイトル「編集者のように考えよう」の意味が分かってきます。

 

これまでのマーケターは、(未だに打ち合わせなどで、「刈り取り施策」なんて言葉を平気で使う人がいるように)顧客をハントする(狩る)発想でマーケティングのプランを考えてきましたが、これからのマーケターは、コンテンツを使って、顧客に見つけてもらったり、関係性を築いたり、長期的に育てていく、という視点が必要になってくるといえます。

 

市場を細かくセグメントして、そこにどういうビークルを使ってメッセージをリーチさせようか?と発想するのではなく、潜在的なお客さんが課題に思っているであろうことを想定して、自社のリソースをやりくりしながらその課題に答えたり、楽しませたりするコンテンツを創造していくわけです。そういったことを実現しようと思うと、新聞や雑誌で魅力的な記事を企画している編集者的な視点が必要になりますよね。

 

もし、今後コンテンツマーケティングがより浸透していくとしたら、コンテンツを作れる人=「編集者」はさらに活躍のフィールドを広げていけるようになるかもしれません。また、これまでの広告を担当してきた人も、発想を変えて、コンテンツマーケティングを理解し、新たなチャレンジをしてみることによって、顧客との新しい関係性を作れるようになるかもしれません。

 

編集部注:『~編集者のように考えよう~ コンテンツマーケティング27の極意』の翻訳を手がけた電通iPR局郡司晶子氏のインタビュー記事はこちら(http://dentsu-ho.com/articles/778)


Posted: 2014年3月13日 11:15 | コメント(0)

「グロースハッカー」

Book reviewer: 廣田 周作 / Shusaku Hirota

グロースハッカーという言葉を知っていますか?
広告業界の人には聞き慣れない言葉かもしれません。
どうせまた、現れてはすぐに消えていく、
数あるバズワードのうちの一つでしょ?くらいに思われるかもしれません。

しかし、今、このグロースハッカーという新しい肩書を持った人たちが、既存のマーケティングの手法を根本から変えようとしているとことは、知っておいて損はないと思います。

グロースハッカーとは、英語で Growth+Hacker つまり、直訳すれば、「成長を促すハッカー」という意味になります。「ハッカー」というと、中にはセキュリティを突破するちょっと怖い人達のイメージを持っている人もいるかもしれませんが、本来の意味は、主にコンピュータや電気回路一般について常人より深い技術的知識を持ち、その知識を利用して技術的な課題をクリアする人々のことを指します(wikipedia)。悪い意味で使われているわけではないのです。(ちなみに、ライフハックという言葉も流行りましたが、これも、技術を上手に生活や仕事に取り入れて、生活の質を上げていく方法という意味で使われています)。グロースハッカーとは、「技術に長けた、ブランドの成長請負人」と言っていいかもしれません。

本書は、このグロースハッカーなる職種の人のことを「新世代のマーケティング担当幹部である」と評しています。既存のマーケティングチームは「淘汰される」とまで書かれています。これは、私たち「既存の」マーケターにとっては聞き捨てならない非常に強い表現です。実際、著者のライアン・ホリデイ(アメリカンアパレルのマーケティング責任者)自身が、グロースハッカーという存在に対して、衝撃を受けたと述べています。

「「グロースハッカー」という新しい職種は、シリコンバレーの文化と融合している。そして彼らの存在は、優秀なマーケターにとって、コーディング能力と技術的な知識が重要になってきていることを示している。グロースハッカーはマーケターとエンジニアのハイブリッドで、「うちの製品の顧客をどうやって獲得するか」という旧来の課題に、A/Bテスト、ランディングページ、バイラル係数、メール到達品質、オープングラフなどを駆使して答える。(中略)これまでのマーケティングチームは淘汰される。マーケティング担当幹部率いる非テクニカル系マーケターのチームに代わるグロースハッカーとは、エンジニアが率いるエンジニアのチームなのだ」

グロースハッカーたちは、広告業界で長らく使われてきた「マインドシェア」や「シェアオブボイス」といった指標にはほとんど目もくれません。ビッグデータによって可視化された膨大なユーザの情報を元に、メッセージやサービスの改善を繰り返すことで、顧客を増やすアプローチを徹底的に検証しながら最適な方法を突き詰めていくところに特徴があります。

したがって、彼らはコミュニケーションを広告ありきで考えません。

「製品の立ち上げに当たっては、これまでマーケターに期待されてきたような、無からでっちあげる派手なキャンペーンは必要ないのだ」

グロースハッカーは、サービスそれ自体に深くコミットして、サービスが自然に拡散性を持つようなアプローチを考えます。製品開発とマーケティングを同じプロセスの中で考え、相互作用させていくのが彼らのやり方です。

エバーノートや、ドロップボックス、インスタグラムといったサービスがほとんど広告を打たずにユーザ数を獲得してきたことを考えれば、その驚異の拡散性は理解出来るでしょう。

「グロースハッカーの目標は、製品自体を数百万人の顧客にリーチする自己永続マーケティングマシンにすること」と言います。

つまり、グロースハッカーとは、サービスデザインとマーケティングデザインの垣根を取っ払い、サービスそのものが提供する「ブランド経験」が、同時に、他の顧客への「コミュニケーション(マーケティング)」にもなるような仕組みを設計出来る人達のことなのです。クチコミが自然に発生するような仕掛けや、ユーザがユーザを連れてくるような仕組みを考えながら、効率を最大化するのが彼らの仕事です。

グロースハックを行うための具体的な手法や、事例などは、是非、本書を読んで頂ければと思うのですが、この本の中の主張で非常に大事なのは、「グロースハッカーになれるか? それはマインドセット=考え方を変えられるかどうかに尽きる」と述べられていることではないかと僕は思います。テクノロジーが苦手だからといって、グロースハッカーになれないわけではないのです。そもそも、サービスとプロモーションを分ける発想や、まずは、「広告ありき」でついつい考えてしまう発想をやめて、サービス自体が人を引き付けるにはどのような改善が必要か? どこに顧客がいて、何を欲しているのか? 本質的な発想に立ち返ることがまずは重要なのだと思います。(もちろん、技術を使いこなせることも重要なので、習得していく努力は必要なのですが)

マーケターとして、僕らもブランドやサービスの本質からまず考えられるように、マインドセットを変えていく(あるいは、忘れがちになっている重要なことを再度思いだす)ことが重要なんだと思い知らされる一冊です。


PFB局廣田周作


Posted: 2014年1月16日 07:55 | コメント(0)

今回は、電通モダン・コミュニケーション・ラボの生みの親である、さとなおさんこと佐藤尚之氏による『明日の広告』を取り上げます。書評コラムではありますが、コミュニケーション・デザインの「古典」ともいえるこの本についてはまず、自分(たち)に与えた影響と、この本が当時指し示した新しいコンセプトがこれからのコミュニケーションにどうつながってくるのかについて書きたいと思います。

2008年のコミュニケーション環境を振り返る


『明日の広告』が出版されたのは2008年1月。
いきなり自分の話をしてしまって恐縮ですが...その頃、僕は就職活動をしながら、最後の学生生活を送っていました。

2008 ~09年当時、僕の周りにいた一部の学生は既にTwitterのアカウントを持っていたし、ニコニコ動画も見ていたし、初音ミクで音楽を作ったりしていました。世の中的には、2ちゃんねるの書き込みから生まれた内容から大ヒット作が生まれたり、ケータイ小説が流行していた時代です。もちろん、スマートフォン、Ustreamなどのサービスもまだ普及していなかったため、動画をアップする時には、サンヨーのザクティを使ったりしてYouTubeにアップしていました。当然、Facebookもあまり浸透していなかったわけですが(LINEは存在すらしていない!)、学生はほぼ全員がmixiで連絡を取り合っていたし、多くが自分のブログも持っていました。今あるコミュニケーション環境とほぼ同じ風景は広がっていたと思います。

学生だった僕は、もちろん広告に興味があったし、面白いことが好きだから広告会社を志望していたわけですが、正直不安がないわけではありませんでした。やはり、新しいコミュニケーションサービスやプラットフォームが生まれ、若者が(マスメディアとは直接の関係のない場所で)独自の文化を創造・発信している中で、既存の手法に固執している(ように外から見える)広告ビジネスがどう変わっていくのか。好きで読んできた『広告批評』は休刊になってしまうし、僕の周りにはテレビを見ない、新聞もとらない若者もたくさんいました。しかも、リーマン・ショック直後でこれからどんどんと暗くなっていく印象があった広告業界。広告も「危機」なのではないか、と実は思っていました。

『明日の広告』という本は、激変するコミュニケーション環境の中で、広告はどう変わればよいのか?変化に備えるためにどのように考えていけばいいのか?を、ラブレターの比喩を用いたりしながら、メディアニュートラルや消費者本位といったコンセプトからわかりやすく紹介しています。基本的には当時の広告業界内やクライアント企業の上の世代の人たちへ、コミュニケーションの環境が激変しているということを伝えつつ、逆に、ネット急先鋒の人たちの頭をクールダウンさせる役割を果たしていたのではないでしょうか。

メディア環境は変わるかもしれないけれど、コミュニケーションは必要。消費者本位の考え方に自らを合わせていけば、可能性は広がる。本質を捉え直すこと。そこに新しい価値が生まれる。

このように多くの人を「啓発」する一方で、この本はこれから広告業界へ入ってくる多くの若い人たちを「鼓舞」する役割も果たしたのではないかと思うのです。

「明日」は既にやってきている!


今、『明日の広告』を読むと、僕ら若手のプランナーにとって、この「明日」は、既にやってきているぞ!ということを強く思います。インターネット白書の発表によれば、2012年度の段階で、日本人のSNSの人口は5000万人を超えています。今になって、デジタルが重要じゃないと考える人はほとんどいないでしょう。コミュニケーション・デザインというのは、もはや新しい思想や概念ではなく、もはや、一番僕らのベースにある考え方、基本動作として(若い世代は特に)身につけておかなければならないものに変わりました。そう、消費者本位の考え方は当たり前になったのです。

おそらく、今の広告業界で、5年目くらいの年次から下の世代は、さとなおさんや、岸勇希さんに憧れて、コミュニケーション・デザイナーになるのを目指して、この業界に入ってきた人たちも多いのではないかと思います(僕もそんな一人でした)。今こそ改めて、日常の業務の中でも、自らがコミュニケーション・デザインを実践できているか、つまり消費者本位のコミュニケーションが行えているかを問い直してみるとよいと思います。最近注目されつつある「インバウンドマーケティング」も、この「消費者本位の視点」の延長にあるものだと思いますし、ますますコミュニケーション・デザインの考え方は浸透していくでしょう。

今回、初心に帰るという意味でも、『明日の広告』を読み直しました。コミュニケーションの基礎を改めて確認し、きちんとそれを受け継ぎ、さらに僕らが今日における『明日の広告』を考えていかなくてはならないのです。


Posted: 2013年11月29日 23:27 | コメント(0)

皆様、はじめまして。
電通モダン・コミュニケーション・ラボの廣田と申します。

電通モダン・コミュニケーション・ラボは、電通社内の横断プロジェクトとして、様々なセクションから意欲あるメンバーが集まって構成されたプランナー/クリエーター集団です(※)。

私たちは、オープンラボとして社内外の人たちと連携し、新しいソリューションを開発することや、コミュニケーションの文化を生み出し、発信していくことをミッションとしています。

デジタル/ソーシャルメディアの浸透によって、コミュニケーションがどのように変わるのか?

オープン、フラット、シェア、ソーシャル...

現在、新しい時代・世の中を象徴するキーワードが、様々な分野で飛び交っていますが、マーケティングの世界でもこのデジタル/ソーシャルの普及に伴って、劇的なパラダイムシフトが起こっています。

既存のマーケティングの方法論が通用しなくなる中で、新しいことに積極的に、果敢にチャレンジすることが大きな価値を持つ時代になってきています。

まだ誰も答えを出していない、大きな変化の中にあるマーケティングの世界でワクワクしたい。電通モダン・コミュニケーション・ラボには、そんなメンバーが集まっています。

活動としては、実践的なプランニング作業を行うのみならず、毎週最新の事例や知見を共有したり、社内外から最先端の知見をもった講師をお呼びし、セミナーを行ったりしています。「SIPS」というソーシャルメディアマーケティングのフレームワークを提唱したりもしてきました。

またメンバーを中心に、毎週「課題図書」を読み、最先端のマーケティング理論やプランニング方法論、クリエーティブの研究を行い、キャッチアップを行うと同時に古典的なマーケティングのフレームワークを見直し、現在のプランニングのあり方を見直すという活動も行っています。変化が激しい状況だからこそ、しっかりと知識を押さえていくことも重要だと考えています。

このコラムでは、主にこれまでラボの課題図書として読んできた本を取り上げながら、その内容の解説と、その知見をどのようにプランニングに生かしていけばいいのか、メンバーがそれぞれ紹介していきたいと思っています。

どうぞ、よろしくお願い致します!

廣田周作


※元電通社員のさとなおさんこと佐藤尚之氏が2010年に立ち上げ、2013年から私(廣田)がラボの代表を引き継ぐ形で運営しています。



Posted: 2013年11月 5日 17:10 | コメント(1)