むらさき

◎ 1時限目 算数 「あなたは何時?」 ◎



【年齢を3で割る】と人生の時間だそうだ。


 21歳の青年は朝7時。
 48歳だと夕方16時。
 60歳でも夜20時。


さて、あなたは何時?



△ 2時限目 経済 「その財布は何歳?」 △

 


社会人として、財布に入れておくべき金額があるらしい。
【年齢×1,000円】入れておけば、まぁなんとかなるらしい。


 25歳なら25,000円。
 36歳なら36,000円。
 50歳なら50,000円。


逆にいうと、所持金を1,000で割れば
あなたのお財布年齢が分かる。

16yo.jpg


□ 3時限目 音楽 「五七五は4拍子」 □



数年前、とあるNHKの番組で
"七五調ってなんで気持ちいいんだろう?"
という話をしていた。


「あいうえお」「かきくけこ」が
五音だからじゃないの?ということで
おぉ~となっていた。


五つの音が気持ちいい時、
【三つの休符が後ろで待ち構えている】場合が多い。
つまり、4拍子が心地いいのだ。 (・休符)


 1234 1234
 あいうえ お・・・
 かきくけ こ・・・
 ゆきとけ て・・・
 むらいっ ぱいの・
 こどもか な・・・
 すずめの こ・・・
 そこのけ そこのけ
 おんまが とおる・


参照↓ "リズムを感じろ"
http://www.sf.airnet.ne.jp/ts/language/rhythm.html


※一方、英語は3拍子という説がある。



 にほんじ ん・・・
 ワルツは うまく・
 おどれな い・・・
 ぼんおど りなら・
 まかせと け・・・

Posted: 2015年3月18日 00:11

□ 師走だしコミュニケーションツールとしての年賀状についてつらつらと

1980年代後半。当時小学生の僕は12月になると先生や友達の住所を聞いてせっせと年賀状を書いた。転校してしまった友達や担任ではなくなった先生と繋がるツールは年賀状ぐらいしかなかった。父宛に届いた何百枚もの年賀状は辞書のような厚さだった。

 

90年代前半。まだPCではなくプリントゴッコ時代、ケータイではなくポケベル時代。気になる異性からやってきた一枚の年賀状に正月早々狂喜乱舞、といった光景も日本中にあっただろう。(僕はそういう甘い記憶はない...だって男子校だったし...言い訳Maybe...)。

 

90年代後半〜21世紀初頭。パソコンの年賀状作成ソフトも出回るようになり、住所録管理や自宅での印刷が楽になった。カラープリンターやデジカメも一家に一台行き渡り「写真入り年賀状」が増えたのもこの頃からだ。携帯電話による「あけおめメール」が誕生した時期でもある。

 

□ 喜び共有ツール?近況報告ツール?

ここ数年は実名登録のFacebookにより、卒業以来会っていない旧友と再会、なんて機会も増えた。1月1日に個別ではなく友人や同僚みんなに対して「あけおめことよろ投稿」をする人も多い。もうこうなると年賀状とは意味合いが変わってくる。7年ほど前の年賀はがきの広告に

 

年賀状は、贈り物だと思う。

 

というのがあったが(http://www.tcc.gr.jp/copira/show/id/24998)、個別のメッセージではない「投稿」は贈り物ではなく宣言だ。一年間を振り返り、感謝し、新年の目標などを周囲に告げることはとてもいいことだと思うけれど。個人宛に綴られた一枚の葉書に比べると重みはない。

 

僕は喪中の時期を境にあまり書かなくなってしまった。年賀状を頂ければ勿論嬉しいし返事も書かなきゃと思うが、ついつい筆無精になってしまう。会わなくても近況が分かってしまうSNSのせい、にしてはいけない。

 

年賀状は7〜8世紀の頃から存在し、江戸時代の頃には庶民にも一般的になっていたそうだ。寺子屋で学んだ読み書きを生かして"新たな年が無事に迎えられる喜び"を分かち合った人々の気持ちは、現代とそれほど変わらないはずだ。将軍様も各地の大名に"今年も年貢よろしく〜"なんて送ったりしていた、のかな。

 

□ 子供の写真なんて見たくないんだよ!の件

この時期になると毎年「子供写真入り年賀状」に関する賛否を見る。

 

▼日経の記事:年賀状に子供の写真「賛成」60%

▼NAVERまとめ:【子供の写真付き年賀状問題】不快に思われないためのちょっとした配慮

▼産経の記事:「どういうつもり?」「何が悪いの?」...子供の写真入り年賀状の賛否 スマホアプリ普及でますます白熱

 

日経の賛成60%には「子供オンリーではなくて家族と一緒に写っているものなら」という人も含まれているような気がするが...半分ぐらいの人は抵抗があるということだ。これって「Facebookに子供の写真アップするのってどうよ問題」とも繋がっている。

 

僕としてはこの投稿→「子供の写真をソーシャルに掲載する是非について冷静に考えたい」の意見に近いが「ほっとけ!」とまでは言わないが。年賀状もソーシャルも受け手の気分を害しちゃいけないという大前提がある。

 

面識がない子供の写真も、脂っこいラーメンの写真も、可愛いニャンコの写真も、結婚式で超ハッピーな写真も、受け手の近況やコンディションによっては気分を害することがある。(子供が一番愛憎の振れ幅が大きいので槍玉にあげられているのかなとは思う)。

 

日常の出来事を記録・発信することは決して悪いことではない。グッドニュースを仲間と共有することは素晴らしいことだ。が、受け手に羨望や嫉妬、苦しみが起きる可能性を配慮する必要はある。

 

受け手側も嫌なら見ない・表示させないという対応をしたほうが精神衛生上いい。年賀状の場合は受け取り拒否ってわけにはいかないけれど... ここで、結婚式の祝辞でもよく引用される吉野弘「祝婚歌」の一節を思い出したので引用する。

 

 

正しいことを言うときは

少しひかえめにするほうがいい

正しいことを言うときは

相手を傷つけやすいものだと気付いているほうがいい

 


Posted: 2014年12月11日 08:00

イジワルな人やイジワルな言葉にぶつかると、僕は一冊の本を思い出す。仲畑貴志さんが書いた『コピーライターの実際』(KKベストセラーズ)



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1990年初版発行の本だけど、2014年に読んでも全然古びていない。むしろ"時代をこえても不変のこと"が浮き彫りになっているように思う。


仲畑さんは30年以上広告業界の第一線で活躍されている。代表作はTCCのホームページやWikipediaでも見られるが、こちらのサイトがビジュアル付きで分かりやすいかも。僕はJR九州のコピー


「愛とか、勇気とか、見えないものも乗せている。」


好きだ。



さて、イジワルな話にもどる。



<コピーライターの実際・P167>

 仲畑広告制作所のたったひとつの社訓は「意地悪とズルはやめよう」です。人間どうし、イジワルとズルがなければ、きっと、なんとかいっしょにやっていけるよ、というわけです。


この一文を読んで以来、「意地悪な人センサー」と「ズルい人センサー」が僕の身についた。イジワルな言動に触れると、自分の言動も少しずつイジワルになっていくような恐怖感がある。



同じページに "固定概念" や "役に立たない嘘" についても記されている。これも時代をこえて不変だと思ったので引用する。




 僕たちの年齢になるまでいろんな価値観を植えつけられて、ものを考えたりしてるでしょ。そのなかに、便利ではあるけれども役に立たない定型っていうのがいっぱい入っているんだ。たとえば、よくいうことですが、「田舎の人は素朴だ」というようなキャプション、アチコチに書いてありそうでしょう。これは嘘だ。


 田舎の人は素朴だとはかぎらない。都会でも素朴な人もいるし、田舎の人でチャッカリ上手な人もいる。(略)だけど、わりともちやすい言葉なもんで、ついみんな使ってしまうのです。



今は、1990年よりも何十倍、定型文に陥りやすい時代になっている。「○○と言えば☆☆だよね」「△△だったら%%ってことでしょ?」なんて訳知り顔で知ったかぶり。生活に欠かせない存在となっているインターネット検索や百科事典は、定型量産装置とも言えるのではないか(とか言いつつ恩恵受けまくってるけどね)。


定型は簡単便利だけど、常に"例外"を意識しておく必要がある。仲畑さんのコピーに


「反省だけなら、サルでもできる。」


というのがあるが、それを2014年風にもじらせて頂くと...


「検索だけなら、サルでもできる。」

http://onebigphoto.com/japanese-snow-monkey-smart-phone/


Posted: 2014年12月 4日 21:00
高城剛さんの「2035年の世界」を読んだ。お風呂で。ジップロックに入れて。

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彼の公式サイトtakashiro.comを見ると "コミュニケーション戦略と次世代テクノロジーを専門に、創造産業全般にわたって活躍" しているとある。結婚・離婚やノマド的生活、お髭、ハイパーメディアクリエイター(とはもう自称していないようだが)のイメージが強すぎて、、、誤解していました。

世界中でありとあらゆる言葉と体験をインプットしているからこその俯瞰的視座。「科学書ともノンフィクションとも違う、私的な直感と妄想」と書いているとおり、妄想的な項目もあったが、妄想はワクワクする。直感はデータより面白い。

いくつもクリッピングしたい言葉があったが、ひとつだけ引用。

お金さえ払えば手に入る「高級車」や、限定的な「情報」について人前で自慢げに話す行為は、成熟した社会では恥ずかしい行為である。いくらお金を払っても、そう簡単には獲得出来ない教養や知識に裏支えされた会話こそが、その人の信頼につながるのは、情報を簡単に回覧できる時代に、ますます価値が高くなるだろう。

Posted: 2014年11月18日 23:29

毎日、小さな地球を見て、躊躇する。
facebookの共有範囲の話。


IMG_20141115_182510.JPG


地球全体に共有・公開したいって気持ちは分かる。
blogだってTwitterだって基本は公開だしね。


おいしいものを食べて飲んで、
休日を楽しんで、家族を愛して。


けど、その地球人のムフフやトホホに
「いいね!」することで赤の他人の
ニュースフィードに送りこんでしまう事が
気になるのだ。賛成の反対なのだ。


本人がいいんだからいいじゃんね!
とも思う。けどね...


地球は小さい?それとも大きい?
心の中で今日もまた、いいね!けどね...


Posted: 2014年11月15日 18:32

月1ペースで更新しようと思っていたのだが、10月はさぼってしまった。どうです?最近さぼってます?今から60年以上前に、電通の四代目社長によって作られた電通社員の行動規範<鬼十則>の二番目にはこうある。


仕事とは、先手先手と働き掛けて行くことで、受け身でやるものではない。


さぼる・怠ける・放置することで後手にまわる。仕事の連絡も、皿洗いや洗濯物も、あの人への不義理も...。やらなきゃいけないよなーという小骨が喉にひっかかった状態がつづく。

何事も、やらなきゃいけない(義務=受け身=後手)ではなく、 やっていいんすか?!(権利=先手)と思えると幸せだろう。世の中には、先手先手でまめまめしく、翌日に持ち越さない人がいる。尊敬。


先手・後手というと思い浮かぶのは将棋の世界。将棋は必ずしも先手が有利ではないそうだが、囲碁やチェスは先手の方が有利だそうだ。ホント? さておき、羽生善治さんの言葉を引用する。


遠回りしながらも、もがいて身につけたものの方が、

簡単に得たものよりも後々まで役立ちます。(羽生善治)


近頃は最短距離や最適解、コスパ重視な風潮。それもまた、インターネット、スマートフォン、ビッグデータの影響だろうか。ネット経由の近道や抜け道ができて、色んなことが簡単になった。つまりは、遠回りをする機会が減った。分からないことも、忘れたことも、面倒なことも、瞬時にそれなりに答えが見つかる。それなりに。

ネットは後手にまわりがちな場所だ。SearchやShareといった受け身的な使い方=他人のふんどしを活用・転用できる世界だ。でも、自分でふんどしを締めるような"先手的"使い方、受け身ではなくもがき悩むことにより、多様な視点や価値観を得られる場所でもあるよなー、と思うのです。(曖昧かつ生意気でスイマセン...)
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先手先手を打つことで、人より遠回りしちゃったり面倒なことに巻き込まれることもあるかもしれない。でもそれは、後手には絶対味わえない価値ある体験だ。


<鬼十則>の六番目にはこんな言葉。


周囲を引きずり回せ、
引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。


ネットでもリアルでも、先手を打とう。遠回りしよう。


Posted: 2014年11月 7日 08:30

僕が広告業界に入ったきっかけは佐藤雅彦さん。

大学時代、突然キャンパスにやってきた彼のゼミに運良く入れたことで、僕は広告にぐぐっと近付いた。

 

今から20~25年ぐらい前=昭和から平成にかわる頃。雅彦さんが手掛けた広告のキャッチフレーズやコマーシャルソングを日本中の子どもたちが口ずさんでいた。

 

その人が「広告業界って面白いですよ、色んな会社と仕事できますよ」なんて言うもんだから鵜呑みにした。"雅彦さんの七光り" もあって、僕は電通から内定をもらえた。

 

電通に入社して2カ月後、関西クリエーティブ局に配属された。そこにもまたCMの名手がいた。その名は山崎隆明さん。ギャツビーや金鳥のCMが次々と話題になり、当時すでにスターだった山崎さん。その後もヒットCMを連発。大好きな広告制作者のひとり。

 

前置きが長くなった。

 

先週、山崎さんが雅彦さんに関するツイートをしていた。

 


無名でいると「それは違う」と批判もしてくれるし、全否定もされる。その環境がなくなったらダメですよね、と佐藤さん。その通りだと思います。

 

どんな文脈で、どんな場所で発した言葉かは分からないが、広告業界で「超有名」な2人が、批判・否定される環境を求めている。まだまだ安住せず、変化しつづける2人...こりゃかなわんわ。

 

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批判や否定の対象にもならず、スルーされることが多いのが広告。また、映画やテレビ番組とちがってスタッフロールがないのが広告。

 

もちろん雑誌のブレーンやコマフォト、TCCコピー年鑑などで調べれば制作者の名前は分かる。そして「有名テレビCM」のスタッフリストにはよく見る名前が並んでいる。グラフィックやWEB業界は世代交代している印象があるが、テレビCMはここ10年ぐらいほぼ固定メンバー。なぜだ?

 

(以下、長いです) テレビCMのオンエア量が多い有名なクライアントさんは経験豊富で有名なスタッフを求める傾向がある。有名なプランナーの周りには、有名なディレクターと有名なカメラマン、照明さん、美術さんetc.がいて、それを有名なプロデューサーが仕切っている。有名なタレントのマネージャーは、有名なスタッフじゃないと安心して任せられないということもあるだろう。有名なスタッフさんにお願いするにはそれなりのお金がかかるが、そこは有名な人だから制作費も潤沢で...(以上、小鳥のさえずりでした)

 

でも、有名、巨匠と呼ばれる人にも、無名な時代が必ずあったはずで。

 

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話は飛ぶ。


熱海広告祭2014に参加してきた。壇上には「有名」な人たちが次々と。もちろん、僕ら広告屋の目的は有名になることではないが、有名人の言葉は説得力が違う。重み。深み。パワー。

 

いろいろな言葉が刺さったが、オフレコなことも多いだろうから、公式Twitterに載っているものからいくつか引用 ↓ ↓ ↓

 


福里真一さん「20代のときは自分らしいものを作ろうとしていた。ヒットを作れるようになったのは、世の中の人が何を求めているかを素直に追い求めるようになってから」

伊藤直樹さん「文化は批評がないと衰退してしまう。熱海広告祭には、そういう場所になって欲しい。我々のやることを、良いも悪いも批評してほしい」

菅野薫さん「時代が時代だし、フィルムやグラフィックに拘る必要性はない。人々がブランドを信じる理由だったり、人の心に風穴をあけるものは何かを、手段に囚われずに考えている」

 

世の中の人が見たい・よろこぶ・有益なものを生みだし、新しい風を吹かせることが広告屋の役割で存在意義だと僕は思っている。人に承認欲求があるように、企業にも承認欲求があり、承認されるためには世の中の役に立ち、気分を上向きにする必要がある。

 

有名は、有利かもしれないが、ときに足枷にもなることもあるだろう。

無名でもできること(無名にしかできないこと?)を見つけて、考えて、つくるしかないか。つくるしかないか。こたえは風の中~♪

 


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※コロラド州には「NO NAME」というエリアがあるんだって

Posted: 2014年9月16日 10:00

「リアル」の反対語って?

  • 「アンリアル」 辞書的、優等生的な回答。正解なんだけど、なんだか面白みがない。

  • 「バーチャル」 最近あまり聞かなくなった言葉。SEGAのバーチャファイターやJamiroquaiのバーチャルインサニティって15~20年前ですってよ。ひぇー!

  • 「ソーシャル」 リアルワールドとソーシャルワールドは対極じゃない。インターネット上の振る舞いだってリアルの一部、延長上。

  • 「フェイク」 この世の中はフェイクだらけだ!リアルを見抜く目を養うのだ!みんな目を覚ませ!なんていうタイプはちょっとニガテ...。フェイクファーは石油化学製品で、本物の毛皮のほうが持続可能な資源だからいいじゃない!という意見もあるらしい。あ、話がそれた。

  • 「イマジナリー」 想像上の。リアルは有限だけど、脳内・想像・空想・思い出は無限大。トイストーリーのバズの顔が思い浮かぶ。"To infinity...and beyond!" なんだかこの回答が一番しゃれてるなーと思った。


なんでこんなことを書いているかというと、僕のfacebookを見た後輩が「村山さん、リア充っすねー!」って言ってきたからである。いやいや、ちょっと待て。僕の仕事が、家庭が、心が、お腹周りがどんなにはちゃめちゃか知らないだろ!と言いたくなって「ソーシャルとリアルは違うんだよ!まったく充実してない!」と返した。

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facebookにはなるべく弱音、愚痴、寝てないアピール、忙しいアピールなどなどを書きこまないように心がけているので、いつも楽しそうで、しょっちゅうおいしいものを食べて、楽器演奏したり、ライブ行ったり、という風に映ったっぽい。

当然、楽しくない時も、おいしくない時も、残業してる時も、トイレ掃除してる時もあるよ、人間だもの。でもそんなことをfacebookに書いても何の足しにもならない(ネタとしてつまらない)と思うので、書いていないだけ。それと「弱音」や「愚痴」とは逆に「見栄」や「嘘」を書いてしまうとすぐに見抜かれるので、これまた気をつけなければと心がけている。

でも、そもそも、「リア充」と「ソシャ充」は反対語じゃないし、リアルの上澄みがソシャなのかもなーと思って辞書をひいた。文頭にもどる↑


「充実」とは、必要なものが十分に備わること。中身がいっぱいに満ちていること。
英語の慣用句に "Empty vessels make the most sound." からっぽの容器ほど騒々しい・やかましい。というのがある。本当に「充実」している人は、リアルでもソーシャル上でも一見寡黙に見える人なのかもしれないね。どう思う?後輩くん。


Posted: 2014年7月 9日 08:30

「週末がつまらないのではない。お前がつまらないのだ
「週末に予定がないのではない。お前に友達がいないのだ」

これは、今から9年ぐらい前に流れていた、とあるラジオCMに出てくる台詞。土日に予定がなくボケーッとしてると、この言葉が脳裏にやってくる。facebookの「友達」欄に何百人も顔が並んでいても、週末に気軽に連絡できる「友達」はほとんどいない。そして、facebookに流れ続ける楽しそうな笑顔やおいしそうな食事の写真を見て、スマホをソファに放り投げる(とか言って実際には充電器に繋ぐ)。

現実社会やfacebookが、つまらないのも、おもしろいのも、全部自分のせいだ。


最近、小林弘人さんのウェブとはすなわち現実世界の未来図である (PHP新書)を読んでいたら、


顔見知り未満の人からの友達申請をすべて認めれば、勝手に大量に送りつけられてくる自己宣伝や、自分の関心とは無縁な投稿がタイムラインに横行するだろう。フェイスブックがつまらないと感じている場合、友だちを整理することをお薦めしたい。受け取る情報が有益になるかどうかは、自分自身がソーシャルグラフをどうデザインするかにかかっている。

なんてことが書いてあった。ふむふむ。おもしろい居場所をつくる・保つためには、ただただ受け取るんじゃなくて整理整頓マネジメントする必要があるよね。


それと受け取ってるばっかりじゃ、おもしろくなるわけない。しょうもない post (=give) でも、有益な take に繋がることがある。例えば、思わぬ人から「□□のこと詳しかったよね?」とか「こないだ書いてた○○について教えてよ」とか。Read Only Member ではウェブと現実世界はリンクしない。(リンクさせたくないんだよ!という人もいるのは承知)。小林さんの著作からもう二つ引用。


誰かにとって無意味な情報であっても、別のひとにとっては重要な意味合いがあるかもしれない。情報発信に対する「愛着」「共感」「信頼」は人によって異なるのだ。


人間はそれほど利他的には生きられない。しかし、直接のお返しを期待しなくとも、自分にとって意味のあることは誰かにとっても意味がある、といった感情をもちつづけて行動することが重要だ。


なにかを読んだ時に「なにがおもしろいのか全く理解できん!」と感じた時は視野を拡げる&視座を変えるチャンスかもしれない。なにかを書く・言う・行う時に「全員ってわけにはいかないけど、あのAさんにとってはおもしろいんじゃないかな」と思って行動するのがいいかもしれない。


世の中全員にとって "つまらない" ものなんて、ない。
すべての "おもしろい" は、たった一人の "おもしろい" から始まっている。
(格言のパクリっぽい感じで終わり)


Posted: 2014年6月12日 17:30
親愛なる同期・日下慶太が、大阪広告協会の「やってみなはれ佐治敬三賞」を受賞した。受賞理由にはこう書いてある。

広告は、単に物を売るためだけのものではなく、人を幸せにする力や感動や共感を呼ぶ力を持っていることを身をもって体現した。メディアが多様化して次々に新しいことに目が向いていくが、一連のポスターや看板が、広告の原点を見せて、多くの感動を呼んだ。

ネット上でもかなり話題になっていた「商店街ポスター展」の仕掛け人が、日下である。

kyuseisyu.png 
画面左上に「救世主は宣伝のプロ」とある通り、見た目からして救世主っぽい日下↑。
ある日、facebookにこんなことを書いていた。


広告はもっと「残る」ことを前提に作ってもよいのではないでしょうか。「心に残る」じゃなくて「モノとして残る」。家買えるぐらいの、いやもっとすごい金額を使って作ることもあるのになあ。残るって大事。


"記録より記憶に残る" なんて慣用句があるけど、記録にも記憶にも残るほうがいいよね。いや、同時は無理か。まずは記憶。あとから記録がついてくるというのが健全?

商店街ポスター展の告知ポスターにはこんなキャッチフレーズ。

「買わんでええから見にきてや」

文の里.jpg

ポスター展が成功した理由は色々とあるだろうが、その秘訣が日下が登場する電通報で語られていた。

  • 「店側と一切調整しない」。だから、「制作者の本当の気持ちがそこにはある」
  • みんなの「おもろいものつくりたいねん」というものすごい欲求が商店街ではじけた。

これって従来の広告のつくり方とはちょっと違う。でも「広告の原点」なんて言われて評価されたし、人を動かした。じゃあフツーの広告には「本当の気持ち」がこもってないってこと...?

広告屋の役割・責任・醍醐味って(調整しなきゃいけないことや諸事情はあるけれど)うきうきワイワイと企てる→みんなの「本当の気持ち」を具現化して世の中に出すことだよなー。
人を幸せにしたり共感を呼んで(=記憶)、売り上げに貢献する(=記録)。そしてその広告自体もモノとして残る(=店頭やYouTubeやお客さんの周辺で見られ続ける)。

ここ2ヶ月ぐらい「広告・コピーのポエム化」なんて記事やSNSをよく見かけるけど、調整や事情に屈しないこと、嘘や建前で塗り固めないこと、それを見た人が笑ったり誇らしくなったり「!」を生むこと、から逃げちゃいかんのだよねーなんて思ったよ日下。

こんなことをだらだらと書いてると「なに小難しく分析しとんねん!もっと自分のやりたい事やりーな!」って怒られそうだけど...(笑)色々と考えるきっかけをもらいました。ありがとう。そんで、受賞おめでとう。

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制作者のうきうき感や熱量は、受け手にちゃんと届く。そんなことを実感したのがもう一件。

先日、CCN(コピーライターズクラブ名古屋)の広告審査会を見学してきた。広告業界には様々な賞があるが、CCN賞の一番の特徴は「誰でも自由に審査を見学できること」。日本全国から応募された400以上の広告を見比べることができるので、若い広告制作者や若くないディレクターやクライアントさんにもオススメできる広告のお祭りだ。CCN賞の審査基準は明快。「その企画に嫉妬したら一票」。

賞を獲るような広告、みんなが制作者(企画者)に嫉妬する広告は、どこかエゴイスティックだ。そして、作り手が「興奮している」のがにじみ出ている。
逆に、いい感じの言葉でしょ?いい感じの音楽でしょ?いい感じの写真でしょ?こんなの好きでしょ?といった「興奮していない」表現はすぐに分かってしまう。

CCN2014のなかで僕がいちばん制作者の体温を感じた、嫉妬したのは大阪音大のムービー。受け手に媚びない、自分がいいと思ったものをまっすぐアウトプットしている表現は、強い。

 
人が嫉妬するようなもん作らなきゃなぁ... と激しく反省しつつ、今日はこのへんで、どろん。

Posted: 2014年6月 5日 12:00