むらさき

流されない人、流されない広告。

親愛なる同期・日下慶太が、大阪広告協会の「やってみなはれ佐治敬三賞」を受賞した。受賞理由にはこう書いてある。

広告は、単に物を売るためだけのものではなく、人を幸せにする力や感動や共感を呼ぶ力を持っていることを身をもって体現した。メディアが多様化して次々に新しいことに目が向いていくが、一連のポスターや看板が、広告の原点を見せて、多くの感動を呼んだ。

ネット上でもかなり話題になっていた「商店街ポスター展」の仕掛け人が、日下である。

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画面左上に「救世主は宣伝のプロ」とある通り、見た目からして救世主っぽい日下↑。
ある日、facebookにこんなことを書いていた。


広告はもっと「残る」ことを前提に作ってもよいのではないでしょうか。「心に残る」じゃなくて「モノとして残る」。家買えるぐらいの、いやもっとすごい金額を使って作ることもあるのになあ。残るって大事。


"記録より記憶に残る" なんて慣用句があるけど、記録にも記憶にも残るほうがいいよね。いや、同時は無理か。まずは記憶。あとから記録がついてくるというのが健全?

商店街ポスター展の告知ポスターにはこんなキャッチフレーズ。

「買わんでええから見にきてや」

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ポスター展が成功した理由は色々とあるだろうが、その秘訣が日下が登場する電通報で語られていた。

  • 「店側と一切調整しない」。だから、「制作者の本当の気持ちがそこにはある」
  • みんなの「おもろいものつくりたいねん」というものすごい欲求が商店街ではじけた。

これって従来の広告のつくり方とはちょっと違う。でも「広告の原点」なんて言われて評価されたし、人を動かした。じゃあフツーの広告には「本当の気持ち」がこもってないってこと...?

広告屋の役割・責任・醍醐味って(調整しなきゃいけないことや諸事情はあるけれど)うきうきワイワイと企てる→みんなの「本当の気持ち」を具現化して世の中に出すことだよなー。
人を幸せにしたり共感を呼んで(=記憶)、売り上げに貢献する(=記録)。そしてその広告自体もモノとして残る(=店頭やYouTubeやお客さんの周辺で見られ続ける)。

ここ2ヶ月ぐらい「広告・コピーのポエム化」なんて記事やSNSをよく見かけるけど、調整や事情に屈しないこと、嘘や建前で塗り固めないこと、それを見た人が笑ったり誇らしくなったり「!」を生むこと、から逃げちゃいかんのだよねーなんて思ったよ日下。

こんなことをだらだらと書いてると「なに小難しく分析しとんねん!もっと自分のやりたい事やりーな!」って怒られそうだけど...(笑)色々と考えるきっかけをもらいました。ありがとう。そんで、受賞おめでとう。

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制作者のうきうき感や熱量は、受け手にちゃんと届く。そんなことを実感したのがもう一件。

先日、CCN(コピーライターズクラブ名古屋)の広告審査会を見学してきた。広告業界には様々な賞があるが、CCN賞の一番の特徴は「誰でも自由に審査を見学できること」。日本全国から応募された400以上の広告を見比べることができるので、若い広告制作者や若くないディレクターやクライアントさんにもオススメできる広告のお祭りだ。CCN賞の審査基準は明快。「その企画に嫉妬したら一票」。

賞を獲るような広告、みんなが制作者(企画者)に嫉妬する広告は、どこかエゴイスティックだ。そして、作り手が「興奮している」のがにじみ出ている。
逆に、いい感じの言葉でしょ?いい感じの音楽でしょ?いい感じの写真でしょ?こんなの好きでしょ?といった「興奮していない」表現はすぐに分かってしまう。

CCN2014のなかで僕がいちばん制作者の体温を感じた、嫉妬したのは大阪音大のムービー。受け手に媚びない、自分がいいと思ったものをまっすぐアウトプットしている表現は、強い。

 
人が嫉妬するようなもん作らなきゃなぁ... と激しく反省しつつ、今日はこのへんで、どろん。

Posted: 2014年6月 5日 12:00