むらさき

あけおめの変遷と、子供写真の賛否について

□ 師走だしコミュニケーションツールとしての年賀状についてつらつらと

1980年代後半。当時小学生の僕は12月になると先生や友達の住所を聞いてせっせと年賀状を書いた。転校してしまった友達や担任ではなくなった先生と繋がるツールは年賀状ぐらいしかなかった。父宛に届いた何百枚もの年賀状は辞書のような厚さだった。

 

90年代前半。まだPCではなくプリントゴッコ時代、ケータイではなくポケベル時代。気になる異性からやってきた一枚の年賀状に正月早々狂喜乱舞、といった光景も日本中にあっただろう。(僕はそういう甘い記憶はない...だって男子校だったし...言い訳Maybe...)。

 

90年代後半〜21世紀初頭。パソコンの年賀状作成ソフトも出回るようになり、住所録管理や自宅での印刷が楽になった。カラープリンターやデジカメも一家に一台行き渡り「写真入り年賀状」が増えたのもこの頃からだ。携帯電話による「あけおめメール」が誕生した時期でもある。

 

□ 喜び共有ツール?近況報告ツール?

ここ数年は実名登録のFacebookにより、卒業以来会っていない旧友と再会、なんて機会も増えた。1月1日に個別ではなく友人や同僚みんなに対して「あけおめことよろ投稿」をする人も多い。もうこうなると年賀状とは意味合いが変わってくる。7年ほど前の年賀はがきの広告に

 

年賀状は、贈り物だと思う。

 

というのがあったが(http://www.tcc.gr.jp/copira/show/id/24998)、個別のメッセージではない「投稿」は贈り物ではなく宣言だ。一年間を振り返り、感謝し、新年の目標などを周囲に告げることはとてもいいことだと思うけれど。個人宛に綴られた一枚の葉書に比べると重みはない。

 

僕は喪中の時期を境にあまり書かなくなってしまった。年賀状を頂ければ勿論嬉しいし返事も書かなきゃと思うが、ついつい筆無精になってしまう。会わなくても近況が分かってしまうSNSのせい、にしてはいけない。

 

年賀状は7〜8世紀の頃から存在し、江戸時代の頃には庶民にも一般的になっていたそうだ。寺子屋で学んだ読み書きを生かして"新たな年が無事に迎えられる喜び"を分かち合った人々の気持ちは、現代とそれほど変わらないはずだ。将軍様も各地の大名に"今年も年貢よろしく〜"なんて送ったりしていた、のかな。

 

□ 子供の写真なんて見たくないんだよ!の件

この時期になると毎年「子供写真入り年賀状」に関する賛否を見る。

 

▼日経の記事:年賀状に子供の写真「賛成」60%

▼NAVERまとめ:【子供の写真付き年賀状問題】不快に思われないためのちょっとした配慮

▼産経の記事:「どういうつもり?」「何が悪いの?」...子供の写真入り年賀状の賛否 スマホアプリ普及でますます白熱

 

日経の賛成60%には「子供オンリーではなくて家族と一緒に写っているものなら」という人も含まれているような気がするが...半分ぐらいの人は抵抗があるということだ。これって「Facebookに子供の写真アップするのってどうよ問題」とも繋がっている。

 

僕としてはこの投稿→「子供の写真をソーシャルに掲載する是非について冷静に考えたい」の意見に近いが「ほっとけ!」とまでは言わないが。年賀状もソーシャルも受け手の気分を害しちゃいけないという大前提がある。

 

面識がない子供の写真も、脂っこいラーメンの写真も、可愛いニャンコの写真も、結婚式で超ハッピーな写真も、受け手の近況やコンディションによっては気分を害することがある。(子供が一番愛憎の振れ幅が大きいので槍玉にあげられているのかなとは思う)。

 

日常の出来事を記録・発信することは決して悪いことではない。グッドニュースを仲間と共有することは素晴らしいことだ。が、受け手に羨望や嫉妬、苦しみが起きる可能性を配慮する必要はある。

 

受け手側も嫌なら見ない・表示させないという対応をしたほうが精神衛生上いい。年賀状の場合は受け取り拒否ってわけにはいかないけれど... ここで、結婚式の祝辞でもよく引用される吉野弘「祝婚歌」の一節を思い出したので引用する。

 

 

正しいことを言うときは

少しひかえめにするほうがいい

正しいことを言うときは

相手を傷つけやすいものだと気付いているほうがいい

 


Posted: 2014年12月11日 08:00